日本現代美術

ダムはなげく

難波田龍起

制作年 1964
材質、技法 コラージュ、油彩、板
寸法 97.5 × 130.0 cm
著作権 © Takeo Nambata 2024 /JAA2400145

1905年北海道生まれ。1915年早稲田大学政経学部に入学したが、翌年退学。太平洋画会研究所、ついで本郷絵画研究所で一時学んだ。自宅が高村光太郎のアトリエの裏隣に位置していたこともあり、関東大震災にあたって町内の夜警に立ち高村光太郎と知己になる。翌年頃から、自作の詩を携えて、光太郎のアトリエを訪れるようになり、高村に川島理一郎を紹介される。その関係で1929年に国画会に出品することになり、難波田の画業はスタートした。

戦中期には、古代ギリシャ、ローマの芸術への憧憬を表現した作品を描いていたが、戦後になると、自律的に抽象化を試みるようになり、幾何学的な構成による叙情的な抽象絵画を描くように展開した。しかし、次第に無数の鋭く、しなやかな線が交錯する表現へ、さらに60年代にはドロッピングによる表現へと変化し、独特の抽象画を誕生させるに至った。1974年、75年に二人の子息を相次いで失って以降は自らの内面をひたすら見据えることによって、奥深い情感を湛える抽象絵画を生み出していった。

《ダムはなげく》は、1956年に開催された「世界・今日の美術展」を契機にアントニ・タピエスやジョルジュ・マチューが来日したことによって日本にアンフォルメル旋風が巻き起こった時期の作品である。その形象からはデュビュッフェやフォートリエの影響が窺い知れると同時に、難波田作品特有の詩人的な叙情性も感じ取ることが出来る。